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那覇地方裁判所沖縄支部 昭和59年(ワ)131号 判決

原告 仲里修 ほか四九三名

被告 国

代理人 宮國義夫 田中治 田上勉 桑畑稔 ほか九名

主文

一  被告は、原告らに対し、それぞれ別紙認容額等一覧表に記載の各原告に対応する同表認容額欄記載の金員を支払え。

二  原告ら(ただし、原告上江洌安栄、同山城誠善、同護得久朝栄、同米須清昌、同岩切勝也、同謝敷宗雄、同玉城英喜、同宮平栄寿、同新里正男、同高江洲太郎、同富村朝章、同井上清俊、同柴田志郎、同大城盛一を除く。)のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を原告らの連帯負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告は、原告らに対し、それぞれ別紙認容額等一覧表に記載の各原告に対応する同表原告請求額欄記載の金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  原告らの請求原因

1  当事者の地位

(一) 原告番号一番ないし三八四番(ただし、うち二〇六番は欠番)、三九〇番ないし三九八番、四〇一番ないし四〇四番、四〇六番、四〇七番、四一〇番ないし四一五番、四一七番ないし四一九番、四二一番、四二二番、四二四番ないし四二八番、四三〇番ないし四四〇番、四四二番の原告らと亡比嘉吉正、同天久繁光、同玉城信栄、同高良武三、同新垣哲次郎、同比嘉政助、同平安名盛春、同真壁邦男、同照屋新太郎、同知念清吉、同金城武吉、同高良名俊、同山内昌英、同富田速則、同城間正次郎(以下、一括して「被相続人ら」という。)とは、いずれも昭和四七年当時在沖米軍基地に警備員として勤務していた者である(なお、以下では便宜上前記の原告らと被相続人らとを一括して単に「原告ら」ということがある。)。

(二) 被告は、前同年当時、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」(以下「地位協定」という。)一二条四項によつて、国とアメリカ合衆国との間に締結されていた基本労務契約に基づき、原告らの法的雇用主であつた者である。

2  米軍による就労拒否

原告らは、昭和四七年六月一六日午前八時から同月二四日午前零時までの間、各々連日所定の勤務時間に出勤し、点呼をすませた。しかし、在沖米軍は、原告らが階級章及び肩章を着用していないことを理由として原告らを勤務ポストに配置せず、その就労を拒否した(以下これを「本件就労拒否」という。)。

3  原告らの債務の本旨に従つた履行の提供

次のとおり、原告らに階級章・肩章を着用して就労すべきことを命じる根拠規定等はなく、仮にこのような規定等が存在したとしても、それは違法無効であつたから、原告らが階級章及び肩章を着用しないでした就労申し入れは債務の本旨に従つた労働債務の履行の提供であつた。

(一) 階級章・肩章の着用義務の不存在

基本労務契約一七章三項(以下「本件制服条項」という。)は、「A側(アメリカ合衆国側の意味)が特に決定した場合は、この契約に基づき提供される従業員(警備員、消防員、運転手を含む。)は、A側が特に命ずる場合に限り、それぞれの職種に定められた保護衣又は制服を勤務時間中着用し又は使用しなければならないものとする。」と規定して、原告らに階級章や肩章の着用を義務づけるには、これらを「特に命ずる」一般的な規則等によらなければならない旨を明らかにしていた。しかし、このような規則等は定められていなかつた。

(二) 階級章・肩章着用命令の無効

原告らは、階級章・肩章の着用を強制されることによつて、米軍と同様の階級制度を強要され、勤務中に上官の靴を磨かされ、乗用車を洗わされ、反抗すると昇給・昇任を停止され、差別的な勤務配置を命じられるなどの奴隷的労働を強いられていた。また、肩章にはRYUKYUAN(琉球人)という文字が記されていたが、沖縄の本土復帰後、原告らは日本人となつたのであるから、琉球人と記された肩章の着用を強制される理由はなくなつていた。したがつて、かかる階級章・肩章の着用を強制することは、憲法一三条、一四条、一九条、労働基準法三条、五条に違反し、基本労務契約の趣旨にも反するから、これを強制する規定や命令等は無効である。

4  本件就労拒否についての被告の責に帰すべき事由

(一) 被告及び機関委任事務として基本労務契約に関する事務を掌理していた沖縄県は、本件就労拒否の当初から、原告らに階級章及び肩章の着用を強制するのが違法であることを認めていた。

(二) 階級章及び肩章の不着用を実行するに先立つて、軍警労は在沖米軍や被告に対して話合いによる円満な解決を試みたが、在沖米軍及び被告はこれに誠実な対応をしなかつた。

(三) 本件就労拒否は、原告らが階級章及び肩章を剥ぎ取つて就労したことによつて職場に何ら混乱が生じず、実害もなかつたにもかかわらず行われたものである。

5  被告の賃金不払

被告は、本件就労拒否中の原告らの不就労を理由として、原告らの昭和四七年六月分の給料の弁済期である同年七月二一日、原告らに同年六月分の給料を支払うに際し、別紙認容額等一覧表の原告請求額欄記載の金額の支払を行わないまま、前同日を経過した(以下これを「本件賃金不払」という。)。

6  相続

被相続人らは、その後死亡し、別紙原告目録にこれに対応して記載されている原告ら(以下「相続人ら」という。)がそれぞれその地位を相続した。

7  まとめ

よつて、原告らは、被告に対し、それぞれ別紙認容額等一覧表の原告請求額欄記載の賃金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の認否

1  請求原因1及び2の各事実は認める。

2  同3(一)のうち、基本労務契約に原告主張の条項があつたことは認め、その余は否認する。同(二)は否認する。

3  同4の事実はいずれも否認する。

4  同5のうち、不払賃金の金額については別紙認容額等一覧表の被告主張額欄に記載した限度で認め、これを超える額は否認する。その余の事実は認める。

5  同6は明らかに争わない。

三  被告の主張

1  階級章・肩章の着用義務の根拠規定等(請求原因3(一)について)

(一) 基地の管理者である在沖米軍憲兵司令官は、本件就労拒否に先立つて原告らに階級章及び肩章を着用するよう命じ、これらを着用しない以上、就労を認めない旨警告していたから、原告らにはこれに従つて階級章及び肩章を着用すべき義務があつた。

すなわち、米軍は、地位協定二条によつて日本国内において施設及び区域の使用を許されているところ、地位協定三条は、「合衆国は、施設及び区域内において、それらの設定、運営、警護及び管理のため必要なすべての措置を執ることができる。」と規定し、いわゆる基地管理権を認めている。右基地管理権は、同条の文言からも明らかなように包括的かつ強度のもので、それは単に米軍基地内における物的管理権にとどまらず、その保安、秩序、規律の維持のためにする人的管理権も含むものであつて、原告ら米軍基地内に勤務する従業員もこれに服すべき義務がある。原告らが階級章・肩章を着用しないで就労しようとしたことは、基地内の秩序及び規律を乱す行為であるから、米軍は、原告らの主張する基本労務契約の本件制服条項にかかわらず、基地管理権の発動としてその着用を命じることができる。憲兵司令官の着用命令は右基地管理権に基づくものであるから、右命令に対する違反を理由としてされた本件就労拒否は適法な根拠を有する。

(二) 基本労務契約の本件制服条項を、原告らが主張するように、階級章及び肩章の着用を義務づけるには、これを「特に命ずる」一般的な規定を必要とする趣旨と解したとしても、在沖米軍憲兵隊司令官によつて定められていた琉球列島米国陸軍規定六七〇―二「制服並びに徽章」(以下「本件陸軍規定」という。)は、階級章及び肩章の着用義務を明定しており、これは本件制服条項にいう「特に命ずる」場合に該当する。

なお、本件陸軍規定は、沖縄の本土復帰前に制定されていたものではあるが、復帰後においても特に廃止されることなく引き続き適用されるものとされていたから、復帰後も原告らに対して効力を有していたというべきである。もつとも、本件陸軍規定には、「本規定は、現に警備職にあり且つ米国陸軍の直接被用者にして、米国政府の割当資金に依り支払われている琉球人警備隊員に供する為のものである」との文言がある。しかし、これは同規定の制定当時、沖縄地域における米国陸軍に属する民間人警備隊員を言い表わすために、当時の具体的状況に従つて表現したにすぎず、特にその適用範囲を限定する趣旨ではなかつた。また、原告らの給与等は、復帰後は被告が法律上の雇用主として立替払していたものの、米国政府がその全額を償還していたから、原告らは復帰後も依然として本件陸軍規定にいう「米国政府の割当資金によつて」給与等を支払われていた者に該当していたということができ、この点からも、復帰後も同規定が原告らに適用されていたことは明らかである。更に、復帰に伴つて原告らの雇用関係が米国陸軍による直接雇用から日本政府による間接雇用に移行したといつても原告らの勤務関係の実質には何らの変化はなく、階級章及び肩章を廃止すべき理由はなかつたし、現に本件陸軍規定を廃止する手続きも執られていないから、復帰によつて、同規定が原告らに適用されなくなつたとする実質的根拠もない。

2  階級章・肩章の着用命令の有効性(請求原因3(二)について)

原告らの主張するような職権濫用的な行為があつたとしても、これは、階級章・肩章の着用の義務づけとは何らかかわりがない。また、被告と原告らとの間の雇用契約は、私法上の雇用契約だから、憲法が直接適用される余地はなく、原告の憲法違反の主張はそれ自体失当である。仮に原告らの違憲の主張が民法九〇条違反をいう趣旨としても、階級章・肩章の着用命令は、原告らの職務の円滑・適切かつ効果的な遂行の確保及び職場の秩序維持という合理的目的を有するものだから、憲法一三条、一四条に違反するものではなく、また、原告らに特定の思想や良心を持つことを強要し、又はこれを制限するものではないから、憲法一九条違反の問題を生じる余地もない。更に、前記のとおり、右着用命令は、合理的な理由を有するから、労働基準法三条に違反するものではなく、原告らが自由意思に基づいて締結した雇用契約によつて負つている労働を円滑・適切かつ効果的に行わせるためのものであるから、同法五条にいう「精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によつて労働者の意思に反して労働を強制」するものでもない。

3  原告らの階級章・肩章剥ぎ取りと職務への影響(請求原因4(三)について)

階級章等を剥ぎ取つての就労は、いわゆるリボン闘争と同様、使用者に対しては直接の対立感情を示して職務遂行のための指揮命令権の円滑な行使を妨げるおそれが強く、労働者間においては絶えず組合員相互の連帯と管理者に対する闘争意識の共有を確認し合うこととなつて職務の遂行に対する熱意と緊張感を滅殺し、また、第三者に対しては異様な感じを与え、使用者が勤務時間中に職務行為と両立し難い組合活動を容認しているように思わせて職場秩序の乱れをも感じさせるもので、労働者の職務専念義務に違反する。したがつて、原告らがこれらを着用しないで就労していた間に在沖米軍の職務に具体的な支障が生じたか否かにかかわらず、このような行為は職場秩序を乱すものである。

四  階級章・肩章の着用義務の根拠についての原告らの反論

1  基地管理権について(被告の主張1(一)に対して)

地位協定一二条五項は、「賃金及び諸手当に関する条件、その他の雇用及び労働の条件、労働者の保護のための条件並びに労働関係に関する労働者の権利は日本国の法令で定めるところによらなければならない」と定め、また、基本労務契約も、前文で、「A側(アメリカ合衆国政府)及びB側(日本国政府)は、ともに、日本国の法律に定められ、かつ、日米協定に定められるとおり、従業員の基本的権利を認め、かつ、これを保持することを希望する」と規定している。これらの趣旨に照らすと、基地管理権といえども、これらに違反しない限度でのみ認められるというべきであつて、本件については基本労務契約及び日本国の法律が優先する。

2  本件陸軍規定について(被告の主張1(二)に対して)

復帰によつて原告らは被告を法的雇用主とする間接雇用に移行して被告から給与等の支払を受けるようになり、本件陸軍規定の適用される「米国陸軍の直接被用者」にも「米国政府の割当資金により支払われている」者にも当たらなくなつた。したがつて、本件陸軍規定は、復帰と共に原告らには適用されなくなつたのであるから、基本労務契約に基づいて「特に命じ」られたものとはいえない。

第三証拠 <略>

理由

一  請求原因1(当事者の地位)及び2(本件就労拒否)の各事実は当事者間に争いがない。

二  請求原因3(原告らの債務の本旨に従つた履行の提供)について判断する。

1  原告らが各々その定められた勤務時間に出頭して点呼を受けたことは前記一のとおり当事者間に争いがないところ、これをもつて原告らは在沖米軍に対して就労の申入れ、すなわち労働債務の履行の提供をしたものとみることができる。

問題なのは、原告らの就労の申入れが、階級章及び肩章を着用せずにされたものであつても、なお債務の本旨に従つたものといえるかどうかである。これについて原告らは、もともと階級章及び肩章の着用を強制すべき根拠規定は不存在ないし無効であるから、これらを着用しないでした就労の申入れは、何ら債務の本旨に反するものではないと主張する。

2  そこで、請求原因3(一)(着用義務の不存在)について判断する。

(一)  まず、基地管理権がそれだけでただちに着用強制の根拠となりうるかについて検討する。

地位協定三条一項前段は、「合衆国は、施設及び区域内において、それらの設定、運営、警護及び管理のため必要なすべての措置を執ることができる。」と規定して米軍にいわゆる基地管理権を認めており、また、基本労務契約第一条dも、これを受けて、米軍が基地従業員に対して直接の監督、指導、統制及び訓練を行う旨を定めている。してみれば、一般論としては、在沖米軍は原告ら基地従業員に対しても基地管理権に基づく指揮監督を及ぼすことができ、原告らにはこれに従う雇用契約上の義務があるというべきである。

しかし、基地管理権といえども決して無制限ではなく、原告らとの雇用関係に関する限りは基本労務契約の範囲内において認められるものであることは同契約の趣旨から明らかである。しかるところ、昭和四七年六月当時に適用されていた基本労務契約(<証拠略>)一七章三項(本件制服条項)が、「A側(アメリカ合衆国側を示す。)が特に決定した場合は、この契約に基づき提供される従業員(警備員、消防員、運転手を含む。)は、A側が特に命ずる場合に限り、それぞれの職種に定められた保護衣又は制服を勤務時間中着用し又は使用しなければならないものとする。」と規定したうえ、同項aにおいて、「A側は、勤務時間中の着用又は使用を定められる保護衣又は制服の基準を決定するものとする。」と定めていたことは当事者間に争いがない。そして、本件制服条項が、「A側が特に決定した場合」で、かつ、「A側が特に命ずる場合に限り」という極めて限定的な表現をとつていることに鑑みると、同条項は、制服等の着用義務については、単に基地管理権に基づく個別的な命令では足りず、予めこれを義務づける何らかの一般的な規定がある場合に限つてこれを認める趣旨であると解するのが相当である。

してみれば、そのような一般的な規定の存否にかかわらず、基地管理権に基づく個別的な命令だけで、ただちに階級章及び肩章の着用義務を原告らに負わせることはできないといわなければならない。

(二)  そこで、被告が主張するように、本件陸軍規定(<証拠略>)が本件制服条項にいう「A側が特に命ずる場合」との要件をみたすものかについて検討する。

なるほど、本件陸軍規定は、4項aにおいて「制服の内訳」として「付加書Ⅰ記載の徽章及び装具」と定め、右付加書に階級章及び肩章を明記したうえ、同規定5項において警備隊員はこれらを指示どおり着用せねばならない旨を定めている。しかし、他方本件陸軍規定2項には、その適用範囲について、「本規定は、現に警備職にあり且つ米国陸軍の直接被用者にして、米国政府の割当資金に依り支払われている琉球人警備隊員に供する為のものである」との定めがある。しかるところ、昭和四七年五月一五日の沖縄の本土復帰に伴い、原告らが基本労務契約の適用を受ける被告の被用者となつたことは<証拠略>から明らかであるから、本件就労拒否の時点では、原告らは、「米国陸軍の直接被用者」ではなくなつていたうえ、基本労務契約第五章1が、従業員に対する支給は被告が直接行う旨を定めていることからすれば、「米国政府の割当資金により支払われている」者でもなくなつていたと認められる。そうすると、本件就労拒否当時においては、原告らには本件陸軍規定は適用されなくなつていたというべきであるから、本件陸軍規定が、基本労務契約にいう「A側が特に命ずる場合」との要件をみたすものであつたということはできない。

もつとも、被告は、これに対して、本件陸軍規定2項は、同規定の制定当時、沖縄地域における米国陸軍に属する民間人警備隊員を言い表すために、当時の具体的状況に従つて表現したにすぎず、特にその適用範囲を限定する趣旨ではなかつたと主張する。

しかし、本件陸軍規定がその6項で被服費の支払手続き等について詳細に規定していることを考慮すると、同規定は、米国政府の割当資金によつて支払われていることを中核的要素としていたとみるべきであつて、同規定2項の前記文言は単なる琉球人警備連隊の形容ではなく、実質的な意味を有していたというべきであるから、被告の右主張は採用の限りではない。

また、被告は、原告らの給与等は、復帰後は被告が法律上の雇用主として立替払していたものの、米国政府がその全額を償還していたから、原告らは復帰後も依然として本件陸軍規定にいう「米国政府の割当資金によつて」給与等を支払われていた者に該当していたというべきであるとも主張する。

しかし、このような償還がされていたとしても、これは、米国政府と被告の間の内部問題にすぎないから、右主張も失当というべきである。

更に、被告は、復帰に伴つて原告らの雇用関係が米国陸軍による直接雇用から日本政府による間接雇用に移行したといつても、原告らの勤務関係の実質には何らの変化はなく、階級章等を廃止すべき理由はなかつたし、現に本件陸軍規定を廃止する手続きも執られていないとも主張する。

しかし、復帰によつて原告らに本件陸軍規定が適用されなくなつたと解される以上、廃止手続きの有無にかかわらず、同規定を復帰後も適用させるような改正がされていない限り、原告らがこれに拘束されねばならない理由はないというべきであるから、右主張も失当といわざるをえない。仮に、近い将来、本件陸軍規定の変更が予想されていたとしても、米軍が、復帰後も同規定を適用しようとするのであれば、経過規定等を設けておけば容易にその目的を達成することができたはずであり、また、変更が予想されるような微妙な事情があるのであれば、なおさら改正の手続きを踏んで同規定の適用を明確にしておくべきであつたといえるのであるから、かかる事情があつたとしても、前記判断が左右されるものではない。

したがつて、本件陸軍規定を根拠として原告らに階級章及び肩章の着用義務があつたとすることもできない。

(三)  <証拠略>によれば、本件就労拒否当時、他に右着用義務の根拠となりうるような米軍の規定等は存在していなかつたことを認めることができる。

3  以上のとおりであつて、本件就労拒否当時、原告らに階級章及び肩章の着用を義務づける根拠規定等は存在しなかつたのであるから、その余の点について判断するまでもなく、階級章及び肩章を着用せずにしたものであつても、原告らの就労申入れは、なお債務の本旨に従つた履行の提供たるを失わないというべきである。

三  請求原因4(本件就労拒否についての被告の責に帰すべき事由)について判断する(なお、労働者は、労務を終了しない限り賃金の請求権を有しないのが原則であるから(民法六二四条)、労働者が債務の本旨に従つた就労の申入れをしたにもかかわらず、就労が拒絶されたとしても、現実に労務を行つていない以上右就労拒否の事実だけから直ちに賃金の請求権が生じるものと解することはできない。しかし、右就労拒否が使用者の責に帰すべき事由に基づく場合においては、右労働債務は債権者たる使用者の帰責事由によつて履行不能となつたというべきであるから、同法五三六条二項により、労務の履行がなくても、労働者はその間の賃金を請求できると解される。)。

1  <証拠略>によれば、本件の事実経過として次の(一)ないし(一七)の各事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  原告らの所属していた琉球人警備連隊(以下「警備連隊」という。)は、宜野湾以北を管轄する北部警備大隊と以南を管轄する南部警備大隊とを統合して昭和三五年に発足した。警備連隊には、日本人である連隊長の下に、本部及びA、B、C、Dの計五つの中隊から成る北部警備大隊と、本部及びA、B、Cの計四つの中隊から成る南部警備大隊と、訓練所(ガードアカデミー)とが設けられていた。警備連隊は、米国陸軍大佐である憲兵司令官を長とする米国陸軍保安課の指揮監督を受けており、基地の警備や交通整理等の職務に従事していた。昭和四七年当時の憲兵司令官はヒユー・H・リドル大佐(以下「リドル大佐」という。)であり、連隊長は長浜功一(以下「長浜連隊長」という。)であつた。

(二)  原告ら警備員は、従前米軍に直接雇用され、労働組合の結成も認められていなかつた。しかし、沖縄の本土復帰に伴い、原告らの雇用関係は、被告を法律上の雇用者とする間接雇用制度に移行して基本労務契約の適用を受けることとなり、労働組合の結成も認められることとなつた。そこで、これに備えて復帰前の昭和四七年四月五日、原告らは、軍警備員労働組合(以下「軍警労」という。)を結成し、当時八六〇人余いた警備員のうち、原告らを含む六七〇人余が加入した。軍警労結成当時、警備連隊内では、中隊長少佐、中隊軍曹など、軍隊類似の階級的呼称が用いられ、警備員らは報告等の時には必ず自己の階級を告げるように指導され、また、その階級に対応する階級章とRYUKYUAN SECURITY GUARD REGIMENT(琉球人警備連隊)と記した肩章とを着用するように要求されていた。軍警労は、このような階級的呼称の使用が上官の命令に絶対服従の気風を作り出し、部下に自家用車を洗わせたり、靴を磨かせたりする等の権限濫用の温床となるなど職場の民主化を妨げていると見て、階級的呼称とその象徴としての階級章の廃止を主要な運動方針に掲げた。また、肩章についても、軍警労は、従前琉球人の名の下に色々と差別的取扱いを受けてきたとの認識に立ち、復帰によつて日本人となる以上、琉球人と記した肩章の着用を強制するのは差別であるから廃止すべきであると主張していた。

(三)  軍警労の役員らは、同年四月七日ころ、憲兵隊保安課長のサワーズ大尉を訪問して、労働組合の結成を伝えると共に、階級章及び肩章の廃止を申し入れた。これに対してサワーズ大尉は、復帰後のことは日米両政府で話し合つて決めることだが、復帰までは階級章・肩章を着用するようにと伝えた。また、同年五月二日ころには、防衛施設庁総務部総務課付補佐として、沖縄の本土復帰に伴う事務等を担当していた深作和夫(復帰に伴い那覇防衛施設局総務部労務連絡室長に就任。以下「深作室長」という。)にも同様の申入れを行つたが、深作室長は、米軍と軍警労で解決すべき問題であるとの認識を示したにとどまつた。

(四)  同年五月一五日、沖縄は本土に復帰した。これに伴つて在沖米軍の肩章は、従前の鳥居のマークから他の在日米軍と同様の富士山のマークに変更された。しかし、復帰後も原告らの階級章と肩章は撤廃されず、在沖米軍はこれらについて具体的な改革の動きを示さなかつた。そこで、軍警労は、同年五月二五日以降は就労に当たつて階級章と肩章との着用をしないことを決定し、各中隊の支部に伝達すると共に、同月二四日、軍警労の稲福恭清委員長が長浜連隊長に会見して、その旨を口頭で伝えた。なお、これに先立つ同年五月二〇日付けで、長浜連隊長は、階級章を着用していない隊員が一部に見られるとして、正式のルートで解決がつくまで勝手にこのような行動に出ることのないよう示達する旨の連隊会報(<証拠略>)を各中隊に掲示させた。

(五)  昭和四七年当時、原告ら警備員の勤務時間は、通常、午前八時から午後四時までの昼勤、午後四時から翌日午前零時までの前夜勤、午前零時から午前八時までの後夜勤の三交替制であつた。また、警備員は、各始業前に所定の場所に集合して、所属の小隊軍曹ないし小隊長から約一五分程度にわたつて点呼や服装・武器の点検、当日の警備事項の伝達等を受けることとされており、これをガードマントといつていた。原告らは、前記(四)の軍警労の決定に基づいて、同年五月二五日、午前八時の昼勤者から階級章と肩章を着用せずに(ただし、北部警備大隊D中隊(軍犬中隊)では、肩章についてはRYUKYUANとある部分をマジツクインキで塗り潰して着用した。)、ガードマントに集合した。しかし、この時は階級章及び肩章を着用するようにとの一般的な注意があつただけで、原告らはそれぞれの勤務ポストに配置され、勤務は通常どおり行われた。

(六)  その後も原告らが階級章及び肩章を着用せずに(又は一部を塗り潰した肩章を着用して)就労する状態が続いた。非組合員の中にもこれに同調する者があり、同年六月一二日ころ米軍憲兵司令部が把握したところによれば、階級章及び肩章を着けないで就労していた者は、警備員全体の約六〇パーセントに及んでいた。リドル大佐は、昭和四七年六月一二日付けで「ユニフオーム正装について」と題する文書<証拠略>を発し、同月一六日午前八時以降階級章と肩章を着用しない者は勤務ポストに配置せず、そのような者には賃金を支払わない旨警告した。ただし、右文書では、階級章及び肩章の着用を命ずる根拠について具体的な説明はなく、抽象的に軍の規則と上官の命令を挙げるにとどまつていた。これに対して軍警労の役員らは、同月一五日に拡大委員会を開き、階級章をはずしたままで勤務を続け、就労を拒否された場合には就労させるように要求して各職場で待機することを決めた。

(七)  同月一六日午前八時、原告らのうち昼勤の者が出勤してガードマントを受けたところ、警備連隊の小隊軍曹ないし小隊長の他に米軍の係官である軍曹が同席しており(南部警備大隊本部中隊の、原告南満則を小隊長とする小隊においては、同原告が軍警労の副委員長であつたため、大隊長及び中隊長も同席した。)、階級章及び肩章を着用しない限りは勤務ポストには配置しない旨申し渡された。これに対して原告らは、ガードマントの行われた場所等にとどまり、断続的に勤務ポストに配置するように要求したが、米軍はこれに応じなかつた。なお、従前RYUKYUANの文字をマジツクインキで塗り潰して肩章を着用していた北部警備大隊D中隊所属の原告らも、この日からは肩章の着用をやめていた。

(八)  軍警労の役員らは、前同日の午後、沖縄県労働商工部コザ渉外労務管理事務所を訪れ、久貝誠善所長(以下「久貝所長」という。)や折から視察に訪れていた前田朝福沖縄県労働商工部長(以下「前田部長」という。)に善処方を申し入れた(なお、原告ら防衛庁設置法四七条一項にいう駐留軍等労働者の労務管理に関する事務は、同法四八条及び「防衛庁設置法第四八条の規定に基づき防衛施設庁長官の権限の一部を都道府県知事に委任する政令」、地方自治法一四八条、同法別表三に基づき沖縄県知事の機関委任事務とされており、これを現場で直接担当していたのが、県労働商工部コザ渉外労務管理事務所であつた。)。この申入れを受けて、同日、久貝所長は、リドル少佐や米軍のスコースキー労務契約担当官代理(以下「スコースキー代理」という。)と交渉を持ち、原告らを就労させるように申し入れた。これに対して、リドル大佐は、肩章については翌週早々にも新しいものに改め、階級章を廃止するかどうかについては、日本の制度も調査して時間をかけて検討する旨回答したものの、現状ではこれらをはずして勤務することは認められず、今後もこれらを着用しない以上就労は認めないし、軍警労との直接交渉にも応じないとの態度を示した。

(九)  同月一六日の前夜勤及び翌一七日の後夜勤の原告らについても、米軍は同様に勤務ポストへの配置を拒否し、以後、同月一八日までこの状態が続いた。この間、軍警労は、拡大執行委員会を開き、一六日のリドル大佐の発言は軍警労の切り崩しを狙つたものだとして、従前どおり階級章・肩章の不着用を続行することを決めた。

(一〇)  同月一八日の午後四時すぎころ、原告吉浜清治が軍警労分会長を務めていたホワイトビーチの北部警備大隊A中隊において、カービン銃を所持した憲兵隊及びグリーンベレー隊員合計十数名が、基地内に待機していた警備員らを実力で基地外に排除した。また、同日午後六時ころには、南北両警備大隊本部中隊等においても、憲兵隊が動員され、警備員らを基地外に退去させたが、ここでは警備員側が自主的に退去したため、大きな混乱はなかつた。これ以後、原告らは一旦ガードマントに出頭して、点呼を受け、その後、基地外に退去させられる状態が続いた。もつとも、北部警備大隊D中隊では、排除は行われず、警備員らは依然として基地内にとどまつていることができた。

(一一)  軍警労の役員らは、同月一九日、組合員多数を動員し、たまたま来県中の革新系国会議員五名をも伴つて那覇防衛施設局を訪れ、米軍に就労拒否をやめさせるよう申し入れた。応対した防衛施設局の銅崎富司局長(以下「銅崎局長」という。)と深作室長は、当初、この問題は労使間の内部問題であるとの認識を示したが、原告ら及び国会議員らの激しい追求の末、同日中にも在沖米軍と話し合いを持ち、原告らを就労させるようにすると述べた(<証拠略>中これに反する部分は<証拠略>に照らして採用することができない。)。軍警労の役員らは、これに続いて沖縄県の宮里松正副知事(以下「宮里副知事」という。)にも同様の申入れをした。その席上、宮里副知事は、復帰後に琉球人と記した肩章を強要することは国際法に違反する、米軍の就労拒否は違法であるなどと述べて軍警労側の主張に理解を示し、県として対米交渉をする旨を表明した。

なお、原告外間裕(第二回)は、前記防衛施設局への申入れに際して、銅崎局長と深作室長とが、階級章の撤廃を申し入れることについても同意したと供述し、<証拠略>にはこれに副う部分がある。しかし、右申入れについて報じた新聞記事である<証拠略>には、そのような記載はないうえ、前示(八)のとおり、原告らの労務管理事務を直接担当していたのは沖縄県知事だつたことからすれば、防衛施設局は、沖縄県と何らの協議もなしにこのような見解を表明できる立場にはなかつたと考えられるのであるから、右各証拠はただちに採用することができない。

(一二)  同月二〇日、久貝所長の立会いで軍警労の三役とスコースキー代理が交渉を持つた。席上、スコースキー代理は、従前の階級章及び肩章は廃止したいと述べる一方、新しいものができるまではRYUKYUANの文字を消してでもよいから階級章及び肩章を着用するよう要求した。軍警労の役員らは、これに対して、新しい階級章及び肩章ができるまでは何も着けさせずに就労させるように申し入れたが、拒絶されたために退席し、交渉は決裂した。

(一三)  リドル大佐は、同月二一日付けで「制服着用について」と題する文書<証拠略>を発し、階級章と肩章の変更作業に着手している旨を伝える一方、右作業が完成するまでは肩章及び階級章を着用するように重ねて要求し、これに従わない者は、基地への通行パスを引き渡して基地外に退去すべきことを命じ、併せて着用拒否者に対しては後日懲戒処分を行う可能性があることを示唆した。ただし、この文書においても、階級章及び肩章を着用しなければならない根拠についての具体的な説明はなかつた。

(一四)  同月二三日ころ、前田部長は、米国陸軍人事部のコールマン担当官に会見し、階級章は廃止の方向で検討するように伝え、併せて本件就労拒否は、原告らが就労意思を持つて就労しに行つたのを拒否したものであるからこれについて賃金カツトはすべきでない旨を申し入れた。しかし、コールマン担当官は、この意見に納得せず、会談は物別れに終つた。なお、前田部長の右申入れの内容は、予め県労働商工部の次長及び担当課長と口頭で打ち合わせてまとめたものであつた。

(一五)  同月二三日、軍警労は、従前の階級章と肩章を撤廃することを条件として、翌二四日以降新しい肩章ができるまで、復帰前と同様に階級章及び肩章を着用することを決定した。これを受けて、同月二四日午前八時以降は原告らは階級章及び肩章を着けて出勤し、就労を認められた。

(一六)  後記五のとおり被告が本件就労拒否中の賃金を支払わなかつたため、同年八月五日、原告らは、右賃金の支払を求める仮処分を那覇地方裁判所コザ支部(当時)に申請した。これに対して、同年一一月二八日、原告らの申請を全面的に認める仮処分決定が出され、被告から異議の申立てはされなかつた。なお、右決定に先立つ同年八月二二日、スコースキー代理は、長浜連隊長を通じて、軍警労に対し、同月二八日以降階級章を全廃する旨を通知していた。

(一七)  その後、昭和五七年一一月ころ、被告は原告らに対する起訴命令を申し立て、那覇地方裁判所沖縄支部がこれを認めて原告らに本訴の提起を命じたため、原告らは、本件訴訟を起こすに至つた。

2  ところで、基本労務契約の趣旨に照らすと、原告らとの雇用契約に関しては、在沖米軍の行為は被告自らが行つた行為と同視すべきであるから、本件就労拒否が在沖米軍の責に帰すべき事由に基づくものであれば、被告自身にこのような事由がある場合と同視するのが相当というべきである。そこで、この観点から、以上認定の事実をもとに本件就労拒否が被告の責に帰すべき事由に基づくものといえるかどうかについて検討する。

復帰後において原告らに階級章及び肩章の着用を強制しうる根拠がなかつたことは先に検討したとおりであり、前示(二)及び(三)のとおり、軍警労が復帰前から階級章及び肩章の廃止を主要な運動方針とし、このことは、在沖米軍の担当者も聞知していたこと、また、前示(一一)及び(一四)のとおり、本件就労拒否が開始された後のことであるとはいえ、原告らの労務管理に関する事務を所管していた沖縄県の労働商工部長やその上司である副知事などが、原告らに階級章や肩章を強制すべき根拠はなく、本件就労拒否は違法であるとの見解を表明していたことからすれば、在沖米軍としては本件就労拒否に踏み切る前に、原告らの主張にも謙虚に耳を傾け、復帰後における階級章及び肩章着用義務の根拠について慎重に検討すべきであつたというべきである。それにもかかわらず、原告らが階級章及び肩章を着用しないという実力行使に及ぶまで在沖米軍はこれらについて具体的な改革の動きを示さず、また、着用義務の根拠についての具体的かつ十分な説明も行わないまま(このことは、前示(六)及び(一三)のとおり、リドル大佐が二回にわたつて発した階級章及び肩章の着用を命じる文書にも、階級章及び肩章の着用の根拠についての具体的な説明がなかつたこと及び<証拠略>を総合して認められる。)、本件就労拒否に踏み切り、これを継続したうえ、その間一貫して原告らが階級章及び肩章を着用しない限り就労させないという態度に固執していたものということができる。してみれば、在沖米軍は、十分な検討もなしに復帰後も階級章及び肩章の着用を強制することができるものと誤信し、原告らの主張に対して真摯に対応することを怠つた過失により、本件就労拒否に踏み切り、これを継続したものであるから、本件就労拒否は在沖米軍の責に帰すべき事由に基づくものというべきである。

もつとも、現在の時点からふり返ると、復帰後幾日も経ない内から階級章及び肩章の廃止を要求して実力行使に走つた原告らの対応もいささか短兵急とも見えなくはなく、特に、前示(一二)のとおり、昭和四七年六月二〇日に在沖米軍が、従前の階級章及び肩章の廃止を約束してそれまでの暫定的措置としてこれらを着用するという譲歩を示したのに対して、これを拒否して席を立つた点は非妥協的に過ぎたのではないかという感もないではない。しかし、もともと復帰後においては原告らに階級章及び肩章の着用を命じうる根拠はなくなつていたのであり、しかも、前示(六)のとおり、階級章及び肩章の不着用者が相当数に及び非組合員にも一部同調者が出るなど、軍警労の主張は、それなりに警備員らの支持を集めたものであつたことに加えて、復帰当時の沖縄の物情騒然たる状況と米軍の長期間にわたる占領状態に起因する原告らを含む沖縄県民の米軍に対する反発的な感情(これらの事実は、<証拠略>によつて認めることができ、また被告も自認するところである。)という当時の特殊な状況をも考慮すると、在沖米軍としては、やはり原告らの階級章及び肩章に対する問題意識と反感の深さを謙虚に受け止めて、本件就労拒否を行う前に慎重に考慮すべきであつたというべきであるから、原告らの態度にも問題がなかつたとはいえないとしても、このことから、本件就労拒否について在沖米軍に帰責事由がなかつたということはできない。

してみれば、本件就労拒否は、在沖米軍の責に帰すべき事由に基づくものというべきであり、先に述べたとおり、これは被告自身に帰責事由がある場合と同視されるべきである。

なお、原告らは、被告自身も階級章及び肩章の強制が違法であることを認めていたと主張する。そして、昭和四七年六月一九日の軍警労の申入れに対して、銅崎局長が在沖米軍に就労申入れをすると述べたことは、前示(一一)のとおりである。しかし、右回答は、組合員ら及び同行した国会議員らの激しい追及の結果当面の事態収拾への助力を約したにすぎないとも見られ、本件就労拒否が違法であるとの認識を前提としたものとはただちには認めることができない。そうすると、銅崎局長の右回答を被告の行為と評価できるかどうかは措くとしても、右事実から、被告が階級章及び肩章の着用を強制することが違法であることを認めていたと見ることはできない。

また、<証拠略>によれば、前示(一六)の仮処分決定が出た後である昭和四七年一二月七日、銅崎局長が、右仮処分決定をできるだけ早く実行すること、同決定に対する異議申立てについて同月一三日までに被告の態度を決めること等を内容とする確約書と題する書面を原告らに交付したこと、次いで、同月一三日にも、仮処分の申請をしなかつた約二〇〇名の組合員に関してもカツト分の賃金を支払うよう対米交渉することを本庁に上申し、右交渉の状況について逐次報告する旨の念書を原告らに交付したこと、その際、個人的意見として、申請をしなかつた組合員に対してもカツト分を支払うべきだと述べたことが認められる。しかし、<証拠略>によれば、前記確認書は、軍警労が、即時の強制執行も辞さないとの態度を示して仮処分決定の即時履行を強硬に要求したのに対して、強制執行を猶予させるために作成されたものであることが認められ、このような文書を交付したからといつて、ただちに銅崎局長が本件就労拒否の違法性を自認していたとみることはできない。また、前記念書についても、本来対米交渉などは銅崎局長の権限外の事項であることをも考慮すると、軍警労の激しい追及をかわす便宜上作成されたものと認められるのであるから、同様である。また、銅崎局長の発言も、あくまでも個人的な感想にとどまるうえ、仮処分決定を前提として述べたものにすぎず、このような発言があつたからといつて、同局長が本件就労拒否の違法性を自認したものと認めることはできない。もつとも、被告が本件仮処分決定に対して異議の申立てを行わず、起訴命令を申立てたのも長年月経過後であつたことは前示(一六)及び(一七)のとおりである。しかし、<証拠略>によれば、本件仮処分決定後の交渉の席上、被告代理人である訟務検事は起訴命令については検討中である旨述べて、起訴命令申立ての可能性を留保していたことが認められ、前記のとおり、復帰後の軍警労と在沖米軍の関係が極めて混乱した状態にあつたことをも考慮すると、被告が異議申立てを行わず、起訴命令の申立ても長年月行わなかつたことは、当時の特殊状況を考慮した政治的判断に出た可能性も否定できないのであるから、これらの事実も、被告が本件就労拒否の違法性を自認していたことをただちに推認させるものではない。他に原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はない。

また、原告らは、階級章及び肩章を着用しないで就労しても在沖米軍の職場に具体的な実害は生じなかつたから、これは職場の秩序を乱すものではなく、それにもかかわらず在沖米軍が本件就労拒否を行つたことについては在沖米軍ひいては被告に帰責事由があつたとも主張する。

しかし、階級章及び肩章を着用しないで就労することが、これらの廃止という軍警労の闘争目的をたえず組合員に認識させ、組合員相互の連帯と管理者に対する闘争感情の共有を確認し合うこととなつて職務の遂行に対する熱意や緊張感を減殺する効果をもたらすことは否定できず、また、使用者側から見ても、管理者に対して直接の対立感情を示していると受け取られるところから、職務遂行のための指揮・命令権の発動を萎縮させるおそれが強いというべきである。してみれば、仮に原告ら主張のとおり具体的な実害が生じなかつたとしても、このような行為が職場秩序を乱す側面を有することは否定できない(ただし、本件では、基本労務契約の本件制服条項に照らして階級章及び肩章を強制する根拠がない以上、これらを着用しないでした就労申入れが債務の本旨に従わないものとまではいえず、被告はこれを受忍すべきであるというにとどまる。)。してみれば、原告らの右主張は失当といわざるをえない。

3  よつて、原告らの就労申入れは、債務の本旨に従つた労働債務の履行の提供たるを失わず、在沖米軍の本件就労拒否によつて右債務が履行不能となつたところ、これは労働債務の債権者である被告の責に帰すべき事由に基づくものというべきであるから、原告らは、被告に対し、本件就労拒否中に受けるべきであつた賃金の請求権を有する。

四  請求原因5(本件賃金不払)について見るに、被告が賃金不払を行つたことは当事者間に争いがない。原告ら各自に対する不払額については、別紙認容額等一覧表の被告主張額欄記載の限度では当事者間に争いがなく、これを超える額の不払があつたことについての的確な立証はない。

五  請求原因6(相続)は、被告が明らかに争わないからこれを自白したものとみなす。そうすると、相続人らが相談した金額(ただし、一円未満は切り捨て)は、それぞれ対応する別紙認容額等一覧表の認容額欄記載のとおりとなる。

六  以上のとおりであつて、原告上江洌安栄、同山城誠善、同護得久朝栄、同米須清昌、同岩切勝也、同謝敷宗雄、同玉城英喜、同宮平栄寿、同新里正男、同高江洲太郎、同富村朝章、同井上清俊、同柴田志郎、同大城盛一の各請求については、全部理由があるから、これを認容することとし、その余の原告らの各請求については、それぞれ別紙認容額等一覧表の認容額欄記載の金員の支払を求める限りにおいて理由があるから、この限度でこれを認容し、その余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九二条、九三条一項但書を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 前原正治 小田幸生 瀬戸口壯夫)

別紙原告目録 <略>

別紙認容額等一覧表 <略>

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